水原容疑者の一言に「身の毛もよだつ」 大谷絶好調の裏で…胴元に明かした“本性”

大谷が絶好調だった昨年6月…胴元に限度額を上げるよう要求「私は最悪だ。やめられない」

 ドジャース・大谷翔平投手の通訳を務めていた水原一平容疑者が12日(日本時間13日)、ロサンゼルスの連邦地裁に出廷。保釈金2万5000ドル(約383万円)で保釈が決まった。11日(同12日)に米連邦検察当局に訴追された際には供述書の内容も明らかとなり、昨年大谷が絶好調だった6月に行っていた胴元とのやりとりも判明。ネット上では「あの兜パフォの時も裏では狂気に満ちてたのか」などと、当時の微笑ましい映像を思い出す声も多かった。

 供述書によると、2023年6月23日(同24日)頃には胴元に対し、「最悪だ(笑)。ついていないなー。最後にもう1回だけバンプしてもらえないだろうか? これがしばらくの間で最後になると約束するよ」とメッセージを送っていたことが判明。バンプとは違法賭博に使われる用語で、賭けられる上限の金額を引き上げることを意味している。

 同日の試合では、大谷はロッキーズ戦に出場し、日米通算200号となる25号を放つなど、サイクルに王手をかける活躍を見せていた日だった。24日(同25日)頃には「本当に本当に最後のバンプをできないか。本当に最後だ」と送っていたという。

 水原容疑者は大谷の銀行口座にアクセスし、最初の報道の3倍以上となる1600万ドル(約24億5000万円)以上を違法なブックメーカーに不正送金。賭けで勝った金額は約1億4200万ドル(約218億円)、負けた金額は約1億8300万ドル(約280億円)、純損失は4068万ドル(約62億円)だったことも明らかとなっている。

 27日(同28日)には大谷が27号を放ち、ベンチの水原容疑者が代役で“兜パフォーマンス”を披露した事が大きな話題となったが、裏では違法賭博で首が回らない状態だったようだ。ファンからも「身の毛もよだつほど恐ろしい」「微笑ましい演出はいったい何だったの」「水原さんが兜を被った写真を思い出す。本人は、今何を思うのか」「人を狂わせるギャンブル」と、ネット上では当時を思い出すコメントが並んだ。

画像引用元:荒川祐史

記事引用元:full-count

ネットの反応

Aさん
Aさん

この事件でドジャースがGJだったと言わざるを得ない
ドジャースが契約金の97%後払いにしたおかげでもあるし、ドジャースに移籍したからこそ水原の賭博が明るみに出た

もしまだエンゼルスにいたら、いずれ明るみになっただろうが、それまではずっと大谷さんの金を使い続けていただろう

ドジャースとの契約金が後払いになった時の水原の表情がおかしいと指摘していた方々がいたらしいが、まさに繋がる

ドジャース。いいね
後払いをネチネチと叩いてた米記者いたが、ドジャース移籍は大谷さんを救ったよ

Bさん
Bさん

ギャンブルが悪いのではない。もっと言えば依存症も悪くはない。病気なら治せば良い。

他人の財産に手を付ける、付けといて何の罪悪感も抱かない、盗んだ相手と平然と付き合える、そのメンタルの特異性、異常さが問題なのだと思う。

Cさん
Cさん

病の域まで行っちゃったんだから、バレないよう糊塗しようとする言動も凄まじいものはあるのかも。
昔にバイト先の奥さんがアルコール依存で、いつもニコニコして優しく気遣いに溢れた人だったが、もう隙あらばお酒を持ち出し隠して裏で飲んでいたんだそうだ。一度その現場を見てしまったことがある。驚いたったらなかった。後日入院となったが、長く治療はしてたんだと聞いたよ。まだ若くて知らない時分ではあったが深刻な何かは感じなかったなぁ…とかは思ったよ。旦那さんのがいつもピリピリしてたっけ。変?妙?とかはあってもソレ???と周りがなるまでは案外と事態は進んでしまうのかも、とは思うようだ。

Dさん
Dさん

最初は勝たせる、脳内に金が何倍にもなるという洗脳をする。
のめりこむまで多く勝たせる、依存にさせる。
頃合いを見計らって、徐々に勝たせる操作を辞める。
カモは勝てるとこれだけ戻せる、儲かると思ってる、それが頭の中を支配し始める、依存症プレイヤーの完成。

後はどうやってカモが餓死するまで引っ張ってこれるか、一番恐れるのが途中で来なくなること、なのでたまに大きく勝たせる、大体顔が険しくなった当たりで思い詰めてるときにやると効果絶大。
自信を取り戻し勝った経験が忘れられないので掛け金も多くなっていく、やがて借金し始め最後はこうなる。

コメント引用元:yahooニュース

水原一平

水原 一平(みずはら いっぺい、1984年12月31日 – )は、日本人の元通訳者である。大谷翔平の専属通訳として、2017年から2024年まで大谷のメディア出演やチームメイトとの交流の際に日英・英日の通訳を務めたことで知られる。

6歳まで北海道苫小牧市で過ごし、1991年に和食料理人の父・英政がロサンゼルスで板前を始めたことを機にアメリカ合衆国へ移住。

学生時代はロサンゼルス郡東部ダイアモンドバーのシャパラル中学(Chaparral Middle School)、ダイアモンドバー高等学校(英語版)に通学した。高校ではサッカー部とバスケットボール部に所属。高校サッカー部では控えのゴールキーパーであった。

2007年にカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業と報じられていたが、2024年3月に同校はNBCのロサンゼルス局の取材に対し、「彼が通っていた記録はない」と回答したと報じられた。

通訳者として
ロサンゼルス・ドジャースに所属していた野茂英雄の活躍によってMLBに興味を持ち、2012年2月のスプリングトレーニングが始まる前に岡島秀樹の専属通訳としてニューヨーク・ヤンキースに採用されたが、岡島が仮契約中に行われたフィジカルチェックを左肩に異常が見つかり身体検査をパスできず契約解除となったことに伴い、2012年2月17日(日本時間18日)に水原の契約も解除された。しかし、有料スポーツ専門サイトのジ・アスレチックは、エンゼルスのメディアガイドには、「水原氏はレッドソックス後の2012年のスプリングトレーニング中、ヤンキースで岡島の通訳を続けた」とあり、後に経歴について疑問を投げかけていた。また、レッドソックス時代に岡島秀樹の通訳を務めたと言われていたが、レッドソックスは2012年2月22日に「ミズハラがいかなる形でも球団のために働いていたことはない」と否定する声明を発表した。

その後は帰国し、2012年からは北海道日本ハムファイターズの球団通訳となり、ブランドン・レアードやクリス・マーティンなど、日本ハムに所属する外国人選手の通訳や生活のサポートを務めた。選手たちに「連絡があったらすぐ駆けつける」と約束し、選手の家族にまで配慮を行った。

日本人選手からも好かれており、「一平ちゃん」との愛称で呼ばれた。また、陽岱鋼(当時日本ハム所属)とは特に仲が良く、たびたびキャッチボール相手を頼まれた。

マスメディアによる外国人選手たちへの取材に協力的で、記者たちから好評であった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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