桐島聡容疑者を不起訴 東京地検

1970年代の「連続企業爆破事件」で指名手配され、警視庁に書類送検されていた過激派「東アジア反日武装戦線」の桐島聡容疑者について、東京地検はきょう、容疑者の死亡を理由に不起訴処分にしました。

桐島容疑者は、1974年から75年にかけて起きた連続企業爆破事件で指名手配され、50年近く逃亡していました。 今年1月中旬、「内田洋」と名乗る男が末期の胃がんを患い神奈川県鎌倉市内の病院に入院し、「自分は桐島聡です」と打ち明け、その4日後に死亡しました。 警視庁公安部は、桐島容疑者の親族のDNA型鑑定などから男は桐島容疑者本人と断定し、爆発物取締罰則違反と殺人未遂の疑いで容疑者死亡のまま書類送検していました。

桐島 聡(きりしま さとし、1954年〈昭和29年〉1月9日- 2024年〈令和6年〉1月29日)は、1970年代の日本の新左翼過激派集団である東アジア反日武装戦線のメンバー。1975年で同派による連続企業爆破事件の被疑者として全国に指名手配されていた。逃亡してから約49年後の2024年1月25日に入院していた病院で自分の名前を名乗り、4日後に死亡した。

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