水原容疑者〝口裏合わせ〟懇願、拒否した大谷は給与口座「3年間ログインなし」 開設の手続きを容疑者が手伝い、残高は積み上がり

米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(29)が、同選手の口座から不正に送金したとして銀行詐欺の疑いで訴追された元通訳の水原一平容疑者(39)から、違法賭博疑惑発覚後に、「胴元側へ借金を肩代わりして送金したことにしてほしい」と偽装を依頼されたが、拒否していたとニューヨーク・タイムズ紙(電子版)が14日までに伝えた。

水原容疑者は当初、スポーツ専門局ESPNの取材に、大谷が借金の肩代わりに応じたと主張。ソウルで現地20日に行われた今季開幕戦後、大谷も含めたチームメートの前でも同様の説明をしたとされる。

同紙によると、大谷は開幕戦後、水原容疑者の英語での説明を完全には理解できなかったが疑念を持ち、宿泊先のフェアモントアンバサダーホテルに戻った後、地下にある会議室で2人で話し合った。その際に同容疑者から賭博の借金があり、お金を盗んでいたことを打ち明けられて、「借金の肩代わりをして送金したことにしてほしい」と頼まれたが、断って代理人のバレロ氏を呼んだ。その後、危機管理担当通訳のヒルツィク氏、新しい通訳、水原容疑者の妻も参加して話し合われ、大谷が被害者であるとの声明が発表された。

ホテルでの会談後、ドジャースは水原容疑者を即刻解雇し、同容疑者はすぐに韓国からロサンゼルスに戻る飛行機に搭乗。国土安全保障当局者が空港で出迎えた。水原容疑者はここでは取り調べに応じることを拒否したが、捜査員が携帯電話を調べることに同意する書面に署名した。

不正送金に使われた大谷の口座は、2018年当時にアリゾナ州の銀行で開設され、開設の手続きを水原容疑者が手伝った。この口座は大谷の給料口座に使われていたが、その後3年間、大谷は一度もログインしておらず、残高は積み上がっていた。大谷は他にスポンサー収入などが入金される複数の口座を持っているという。

大谷は13日(日本時間14日)、本拠地ドジャースタジアムでのパドレス戦に「2番・DH」で出場。相手先発はダルビッシュ有投手(37)。大谷は松井秀喜氏(ヤンキースなど)の持つ日本人メジャーリーガー最多本塁打記録の通算175本に並んでいる。

画像引用元:株式会社 産経デジタル

記事引用元:夕刊フジ

ネットの反応

Aさん
Aさん

大谷選手が口裏合わせを断ったことは、大谷選手だけでなく、水原容疑者にとっても良かったと思います。
ここで大した罪に問われずに終わっていたら、胴元たちからの催促は続いていたでしょうし、更に悪事に手を染めていたかも知れないと思います。
この機会にちゃんと捕まって、きちんと裁かれて、罪を償うことが、将来的には絶対に良かったと思います。

Bさん
Bさん

チームからの給与が入らないということはまずないことだし、支払いはカード決済などのキャッシュレスが主だろうからログインして残高を確認する、なんてことは必要なかったんだろうな。だからこそこういう事件に巻き込まれてしまったんだろうけど。3年で発覚してよかった、と思うしかないかな。
…移籍時に契約金は後払いでいいと大谷選手が言ったことで一番焦ってたのは彼かもしれないね。

Cさん
Cさん

二人だけで地下の会議室なんて、本当に最悪の事態にならなくて良かった。これだけの大規模な犯罪を犯したらもう人生終わったも同然、ということは断られたら逆上して何をするかわからない。大谷選手が無事で良かった。これからはどんなときでもボディーガードつけたほうがいい。

Dさん
Dさん

報道ベースでは盗難にあった口座から件のグローブ寄贈の費用がメーカー等に支払われたとありました。これは寄付に該当し、節税面で大谷氏に非常に有利になりますので、そのタイミングにでも税理士から再度口座明細の取得を打診するような動きがあっても良かったのではないかと思います。

コメント引用元:yahooニュース

水原一平

水原 一平(みずはら いっぺい、1984年12月31日 – )は、日本人の元通訳者である。大谷翔平の専属通訳として、2017年から2024年まで大谷のメディア出演やチームメイトとの交流の際に日英・英日の通訳を務めたことで知られる。

6歳まで北海道苫小牧市で過ごし、1991年に和食料理人の父・英政がロサンゼルスで板前を始めたことを機にアメリカ合衆国へ移住。

学生時代はロサンゼルス郡東部ダイアモンドバーのシャパラル中学(Chaparral Middle School)、ダイアモンドバー高等学校(英語版)に通学した。高校ではサッカー部とバスケットボール部に所属。高校サッカー部では控えのゴールキーパーであった。

2007年にカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業と報じられていたが、2024年3月に同校はNBCのロサンゼルス局の取材に対し、「彼が通っていた記録はない」と回答したと報じられた。

通訳者として
ロサンゼルス・ドジャースに所属していた野茂英雄の活躍によってMLBに興味を持ち、2012年2月のスプリングトレーニングが始まる前に岡島秀樹の専属通訳としてニューヨーク・ヤンキースに採用されたが、岡島が仮契約中に行われたフィジカルチェックを左肩に異常が見つかり身体検査をパスできず契約解除となったことに伴い、2012年2月17日(日本時間18日)に水原の契約も解除された。しかし、有料スポーツ専門サイトのジ・アスレチックは、エンゼルスのメディアガイドには、「水原氏はレッドソックス後の2012年のスプリングトレーニング中、ヤンキースで岡島の通訳を続けた」とあり、後に経歴について疑問を投げかけていた。また、レッドソックス時代に岡島秀樹の通訳を務めたと言われていたが、レッドソックスは2012年2月22日に「ミズハラがいかなる形でも球団のために働いていたことはない」と否定する声明を発表した。

その後は帰国し、2012年からは北海道日本ハムファイターズの球団通訳となり、ブランドン・レアードやクリス・マーティンなど、日本ハムに所属する外国人選手の通訳や生活のサポートを務めた。選手たちに「連絡があったらすぐ駆けつける」と約束し、選手の家族にまで配慮を行った。

日本人選手からも好かれており、「一平ちゃん」との愛称で呼ばれた。また、陽岱鋼(当時日本ハム所属)とは特に仲が良く、たびたびキャッチボール相手を頼まれた。

マスメディアによる外国人選手たちへの取材に協力的で、記者たちから好評であった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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