十両復帰の若隆景が白星発進 1年ぶりの土俵入り&締め込みに感慨「うれしい。またしっかり頑張ろうという気持ち」

大相撲春場所・初日」(10日、エディオンアリーナ大阪)

 元関脇で十両に復帰した若隆景(荒汐)が白星スタートを切った。欧勝海(鳴戸)に対し、おっつけてから左を差して出ると、最後は力強く押し出し。「前に出られたのでよかった」とうなずいた。

 関取としての土俵は、右膝を負傷した昨年春場所以来。場所後に手術を受けて関脇から幕下まで番付を落とし、昨年九州場所で復帰した。「化粧まわしを締めて土俵入りして、締め込みをして土俵に上がれるのはうれしいこと。またしっかり頑張ろうという気持ちです」。1年ぶりの感触に、感慨をにじませた。

 今場所前は、出稽古に訪れた関取衆とも肌を合わせた。「いい稽古ができていた」と自賛する調整ぶり。右膝を含めたコンディションも「徐々に体はよくなってきているなと思う」と手応えを口にした。引き揚げる間際の支度部屋では幕内力士たちと談笑するなど、表情も明るい。目標は「一番一番、自分の相撲を取りきること」。力を発揮できれば、気にしなくても白星はついてくる。

画像・記事引用元:デイリースポーツ

ネットの反応

Aさん
Aさん

右膝の怪我を感じさせない強い相撲でした。連続優勝して早く幕内での相撲が観たいです。
自身最高位の関脇を目指して頑張って下さい。

番付
番付(ばんづけ、番附とも表記)は、大相撲における力士の順位表。正式には番付表という。
古くは興行の場所に「興行札」という木の掲示板を立て、興行日時と、出場力士の名前と序列を明らかにした。古番付が基本的に写本の形式で伝承されているのはそのためである。しかし、興行の規模が拡大し、広く告知する必要が生じたために、木版印刷の形式で番付を発行(享保年間(1716~1735年)に木版印刷となる)し、直接相撲場に行く前に、興行の概要を知ることができるようにした。現在でもこの流れを継いで、行司による毛筆書きを写真製版して印刷している。江戸の相撲では、現在宝暦年間(1755年頃)以来の印刷された番付が確認されている。日本相撲協会によれば、1757年(宝暦7年)に縦一枚形式の番付が初めて発行され[1]、2007年(平成19年)は発行250周年にあたるという。大坂相撲では、1869年(明治2年)3月場所より江戸時代からの横東西二枚番付を、初めて縦一枚番付の江戸風に改めて発行した[2]。古番付の記録として最古のものは、1699年(元禄12年)5月に京都岡崎天王社において勧進相撲が興行された時のもので、三役の名称もこの番付が初見である。大坂で最古の番付は1702年(元禄15年)4月、大坂堀江勧進相撲公許興行の時のもので、以後享保年間の頃より大坂・京都番付を多くみる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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